株式会社SAVORY
山里遥奈さん(仮名・広報PR) 31歳
大手経営コンサルから大学発スタートアップに転職。経験を活かしながら、新たなバリューを発揮。
沖縄科学技術大学院大学(OIST)のインキュベーターに拠点を置くベンチャー企業、株式会社SAVORYで働く山里さん。東京では、アパレル企業でVMD(ビジュアル・マーチャンダイジング)担当として活躍していたが、沖縄の家族を想ってUターンを決意。
沖縄では一度転職をしたものの、社風に違和感を覚え再度転職活動を開始。リージョナルキャリア沖縄を利用し、「ゼネラリスト志向の強い自分にピッタリの仕事に就けた!」と、納得のいく転職ができたと振り返る山里さんにインタビューを行った。
(※本記事の内容は、2021年11月取材時点の情報に基づき構成しています。)
- 過去の
転職回数 - 2回
- 活動期間
- エントリーから内定まで142日間
転職前
- 業種
- 経営コンサルティング業
- 職種
- コンサルタント
- 業務内容
- 新規開拓営業およびコンサルティング
転職後
- 業種
- 食品業界
- 職種
- 広報PR
- 業務内容
- WEBプロモーション
過去の経験をすべて生かしつつ、新たなバリューを発揮し、仕事を楽しむ日々。
現在のお仕事はどんな内容ですか?
SAVORYは、沖縄科学技術大学院大学(OIST)の元職員が2018年に起業した、キャンパス内にあるインキュベーターで活動するベンチャー企業です。ヌチグスイ(命薬)カンパニーとして、沖縄から人々の心と体を癒すような製品をお届けすることを目的として活動しています。現在3名しかいないスタートアップの企業なので、私の仕事内容はWEBの管理、PRやSNSを使った情報発信、自社商品の梱包から配送準備まで、多岐にわたります。
自社事業は主に2つあり、1つはボーンブロスというニューヨークなどで人気の健康食品の企画・販売です。県産の食材を使った「ヌチグスイ・ボーンブロス」という商品名で、沖縄の方言ではヌチグスイ=命の薬です。「元気になる、美味しい料理、心の中が温かくなって癒されるような出来事」という意味で、プロスポーツ選手などにもご愛用いただいています。
もう一方の事業で私が担当しているのは、植物由来成分CBD(カンナビジオール)。産業用ヘンプから抽出したポリフェノール成分を、日本でもトップレベルの高濃度で含有した、CBDヴェポライザーの国産ブランド商品の販売・広報業務を担当しています。
入社前のご経歴を教えてください。
新卒で東京のアパレル会社に入社し、VMD(ビジュアル・マーチャンダイジング)担当として、2~3店舗の内装やディスプレイ、またファッショントレンドを察知しつつ、シーズン計画書や売り上げ計画書の作成、在庫管理といった店舗運営を約5年担当していました。
その後、ご縁があってベトナムホーチミンでビジネススクールをやっている日系の人材教育会社へ移りました。ベトナムでは日本語が通じる方が意外と多く、親日国で3ヶ月間楽しく過ごせました。
その後は日本に戻り、経営コンサル企業でコンサルタントとして経験を積みました。サービスを売る仕事として、人を育てることは楽しかったです。教育の面白さを知ったり、ビジネスについても学ぶことができ、とても良い経験になりました。
沖縄へのUターンのきっかけは?
家庭の事情があり、沖縄へ戻ることを考えました。もともとゼネラリスト的な志向が強く、仕事の幅を広げてキャリアアップしたい気持ちが強かったことも理由の一つですね。沖縄はいろいろなことができるので面白いと感じていました。東京では仕事が細分化されてしまっていて、キャリアアップが難しいと感じる側面もありました。
転職のきっかけは?
ベトナムから日本に帰ってきて経営コンサルタントとして働くまで、2カ月ほどゆっくり過ごした後、ハローワークのようなところで半年ほど勤めました。「上流から下流が分かって、全工程がみられる仕事はないかな」と転職活動を続けていると、経営コンサルタント業の求人が面白そうで、自分のやりたい仕事にピッタリだと思い転職しました。
その会社で、沖縄のかりゆしウェアのリブランディングのプロジェクトを行ったことが、今でも印象に残っています。新しいラインを立ち上げ、ターゲットを決めて戦略を立てる。とてもやりがいを感じる一方で、「ルールが決まっている仕事よりも、フレキシブルに動ける方がいい」とも感じました。
また、沖縄のマーケットに即した仕事をしたいと思ったことが、さらなる転職へ向けて動き出すきっかけでした。ブランディングの仕事は楽しいし、人材教育・商品のデザインなども引き続きやってみたい。そんな時に、リージョナルキャリアに相談し、転職活動を開始しました。
転職活動はどのように進めたのですか?
割と流れに身を任せるタイプなので、声をかけられたところが面白そうであれば、まずはチャレンジしてみようと思っていました。とにかく行動する派ですね。「自分に合うものはなんだろう」と突き詰めていく中で、今の会社に勤めるきっかけになりました。
今の会社に決めたポイントは?
病気で食事が食べられない人に提案するための商品開発や、ヌチグスイカンパニー(人々が健康でよりよい生活を送るために)というコンセプトに共感しました。そして、何より一番面白そうでした。
また、私はオールマイティに活躍できる人材としてキャリアを積んでいきたいと考えていて、SAVORYでの仕事は裁量権が自分にあり、自ら能動的に動くことができることもポイントでした。
東京、ベトナム、沖縄。それぞれで働いてみて思うこと。
転職していかがですか?
転職して半年ですが、刺激的で楽しい日々です。フレックス勤務なので、在宅だったり、恩納村へ出社したりしながら、週4回勤務しています。会社にいるメンバーは若くて、自由な社風です。
会社はOISTという大学の施設内にあり、さまざまな企業が参画しています。年齢も性別も国籍もバラバラで、いろいろな方がいて面白いです。琉球藍染をされている企業や、環境に優しいオーガニックポリマーを開発されているインドの方もいます。
会社は副業OKなので、金曜日は那覇で経営よろず相談をしていて、産業支援を行っています。元々対面でやっていましたが、現在はオンライン対応も増えました。
転職して良かったと思うことは?
とにかく楽しいです。週4日会社で働いて、週1日は那覇でのコンサルタントとして、経営相談を受ける。副業可能な企業もどんどん増えてきていますね。
沖縄で小さなベンチャー企業で勤めているメリットは、社長と直に話せることや、会社がどんな方向に向かっていくのかを日々感じることができること。
最近感じるのは、世の中のニーズに併せたWebやECサイトの需要の高まり。そんな中でWeb周りの相談を受けられることは、将来に向けてのニーズのリサーチもできて一石二鳥だと感じています。
もっと現場の話をすると、おじいちゃん、おばあちゃん世代の方は、そもそもPCの使い方に困っているんですよね。私が力になれることはたくさんあって、やりがいを感じる日々です。
東京から沖縄に来て変わったことは?
東京にいても沖縄にいても、今はオンラインで仕事ができる時代になりつつありますよね。私はどちらかというとゼネラリストでいろいろなことに挑戦してみたかったので、大きな企業で勤めているときは、会社の歯車であることに不安を感じながら過ごしていました。
副業では会社経営者と繋がったりするので、非常に勉強になります。私は元々洋服が好きなのですが、最近Instagramで沖縄のアパレル会社の方と繋がりました。次は洋服作りを始めることになりそうです。自分のやりたいことができて、自分のやったことに対する責任も持てるので、やっぱり私は沖縄にいる方がいいなぁと感じています。
収入は変化しましたか?
東京で働いていた時の約半分になりましたが、給料に関しても安定志向でなく、どちらかというとベンチャー気質なので、収入より働き方にこだわりました。現場とコンサルティングの両立ができ、自分のやりたいことができる環境で働ければと思っていました。
東京に住んでいた頃と違って、働き方が変わってきていますので、副業などでカバーできると思います。沖縄に来て収入が下がることに不安を感じている人にも、この事実を知って欲しいです。
生活面の変化はありましたか?
東京での生活は、電車通勤中にオーディオブックを聞いたり、仕事や作業通勤中もさまざまなことに追われていました。沖縄に戻ってからは、道の駅で野菜を買ってその食材で料理を作ったり、17時には仕事が終わるので海で過ごしたりしています。恩納村は静かでいい空気感が漂い、のびのびと過ごせます。
転職活動を振り返っていかがですか?
リージョナルキャリアの皆さんは、親身になってくれる方ばかりで嬉しかったですね。地域密着であるからこそ、企業の経営者や責任者から直に話を聞いている点に価値を感じました。
求人票だけでは分からない部分を教えてもらいましたし、私自身、過去に求人票の情報だけで判断して失敗した経験があるので、しっかり企業の情報を持っていることと、それを丁寧なコミュニケーションで提供してくれることの重要性はなおさら感じました。担当してくださった玉城さんは熱い男のイメージで、親身になって対応してくださり、大変感謝しています。