転職成功者インタビュー

沖縄セルラー電話株式会社
新屋景子さん(営業) 39歳

子育てもキャリアも諦めない。4児の母が未経験の営業職へ転職成功。

「沖縄に貢献したい」との想いを胸に、幼い双子を含む4人の子どもを育てながらキャリアを築いてきた新屋さん。関西の大学を卒業後は国家公務員として東京・霞ヶ関に勤務していたものの、東日本大震災を機に退職してフランスへ留学。そこで自身が生まれ育った沖縄の魅力を再認識し、Uターン転職した。

教育・研究機関での勤務を経て、さらなるキャリアアップを目指して2024年9月、沖縄セルラー電話株式会社に営業職として転職。未経験職種への転職に不安もあったものの、可能性を信じての挑戦だった。

今では「もっと早く営業職にチャレンジしていればよかった」と笑顔で語る新屋さんのしなやかで力強い転職ストーリーに迫った。

※本記事の内容は、2025年5月取材時点の情報に基づき構成しています。

過去の
転職回数
2回
活動期間
エントリーから内定まで22日間

転職前

業種
教育・研究機関
職種
調達・購買
業務内容
購買、予算管理

転職後

業種
電気通信事業
職種
自治体向けコンサルティング営業
業務内容
プロジェクトマネジメント

国家公務員を経て留学やUターン転職を経験。長期的視野でキャリアを形成。

現在のお仕事はどんな内容ですか?

沖縄セルラー電話株式会社は、「事業を通して、沖縄経済の発展に貢献すること」を企業理念に掲げています。私が所属するビジネスデザイン本部地方創生部は、自治体や行政機関にDXソリューションの営業を展開しています。

具体的には、自治体向けペーパーレス化の取り組みや交通分野など地域課題の解決に資するソリューションの提案で、一例をあげるとAIオンデマンド交通「mobi」は現在、南風原町で実証実験を行っています。

入社前のご経歴を教えてください。

大学卒業後の4年間は国家公務員として東京・霞ヶ関で働き、米国や国内大手の通信事業者に対する取引の調査業務などを担当しました。「公平・公正な立場から、全体の利益につながる仕事がしたい」という想いから選んだ仕事でしたが、2011年の東日本大震災をきっかけに人生を見つめ直すようになります。

日常が一変する出来事を経験し、「このままでいいのだろうか」と悩み、思い切って退職。もともとフランス語や文化に興味があったので、フランス・パリに留学しました。

当初は移住も視野に入れていましたが、現地での生活を通して改めて故郷・沖縄の素晴らしさに気づき、「沖縄のために働きたい」と考えるようになりました。1年後に帰郷し、沖縄の観光業を支援する公的機関に再就職しました。

同組織で約2年半、スポーツツーリズムのプロモーションや広報を担当した後、さらなるキャリアアップを目指して国際的な教育・研究機関へ転職。そこで産休・育休を挟みながら約8年、購買業務や予算管理に携わりながら役員のアシスタント業務も兼務しました。

転職のきっかけは?

一番の理由はキャリアアップです。1歳半から7歳まで、双子を含む4人の子どもを育てており、家族が増えたことで「通勤に長時間かかるのはもったいない」と感じていました。QOL(生活の質)を高め、収入も上げたいと考えるようになりました。

私は子どもを授かってからの方が、仕事に対するモチベーションや楽しさが増したタイプで、仕事と子育ての両軸があることで気分転換になっています。

また、目標に向かって一つひとつ達成していく過程が好きなので、キャリアアップで見える世界が変わることにもワクワクします。新しいステージへの挑戦が人生をより豊かなものにしてくれると実感しています。

転職活動はどのように進めましたか?

双子の育休を終えて職場復帰した2週間後に転職活動をスタート。最初は友人が勤めている自宅近くの会社に空きがあると聞き、応募しました。

その後、幅広く情報収集する中で、知人から「沖縄のハイクラス転職に強い」と紹介されたリージョナルキャリア沖縄(運営・株式会社レキサン)にエントリーし、数社をご提案いただきました。

沖縄セルラー電話については、働きやすさや待遇の良さは複数の友人から聞いており興味はありましたが、募集職種が営業職だったため、「未経験の私には無理だろう」と思っていました。

とはいえ、やはり気になって担当コンサルタントに相談したところ、私の経歴や目指している方向性などを踏まえて、「チャレンジする価値は十分あります」と背中を押していただき、思い切って応募しました。

今の会社に決めたポイントは?

最終的に3社に絞って面接を受けましたが、当社から早い段階で内定をもらえ、他の2社を辞退しました。給与を含む福利厚生の充実度や、面接時に話した上層部の方々が信頼できる印象だったこと、「私に期待を寄せてくれている」と感じたことが決め手となりました。

そして、何より「事業を通して、沖縄経済の発展に貢献すること」という企業理念に共感したことが入社を決めた最も大きな理由です。

通信インフラは、あらゆる面で沖縄の発展を支える存在であり、自分の仕事が地域貢献につながっていると実感しています。

諦めずに勇気を出して未経験の職種に挑み、ワクワクする仕事に出合えた。

転職していかがですか?

とても楽しく働けており、毎朝ワクワクした気持ちで出勤しています。営業職として「数字を上げる」プレッシャーはこれまで経験のなかったことですが、チームの皆が本当に頼もしい方々で支えられています。

私たちの部署は自治体が顧客なので、中長期的な視野に立って信頼関係を構築することも重要です。そういった仕事の進め方や、チャレンジする人を応援する社風が自分に合っていると感じます。

転職して良かったと思うことは?

39歳という年齢で心から「楽しい」と思える仕事に出合えたことが一番の収穫です。なんといってもパワフルな社員が多く、日々刺激をもらっています。

また、通勤時間が短くなったことはもちろん、安くて美味しい栄養バランスの取れた社員食堂があるのも嬉しいですね。

前職はバックオフィス業務で書類作成や文書に向き合う時間が多かったのですが、現在は外に出て人と会う仕事が多く、もともと人と話すことが好きなのでやりがいを感じます。「もっと早く営業職にチャレンジしていればよかった」と思うぐらいです(笑)。

困っていることや課題はありますか?

通信に関する専門知識や営業的な数字の分析力はもっと高めていきたいと考えています。

また、生成AIなどDXソリューションの活用スキルを磨き、各自治体の抱える人手不足といった課題を解決していくことも今後の目標です。

生活面の変化はありましたか?

子どもたちが沖縄セルラー電話のCMやauショップの看板を見て「お母さんの会社だ!」と興味を持ってくれるようになり、嬉しいですね。「地元に全力!」というキャッチフレーズも子どもたちにアピールしています(笑)。

転職を考えている人にアドバイスをお願いします。

環境を変えるには勇気が必要ですが、世の中にはたくさんの会社があり、自分に合う場所や今より良い条件で働ける職場がきっと見つかるはずです。

少し勇気を出すことで、きっと未来は変わるので、自分の可能性を自分で狭めないでください。「自分にもできる」というマインドにシフトして、一歩を踏み出してみましょう。

担当コンサルタントから

コンサルタント 
長濱 雅徳

世界的に評価されている教育・研究機関から、沖縄セルラー電話社へと転職された新屋さん。出産から約1年というタイミングで未経験だった職種に転職し、生き生きと活躍されています。

4人のお子さんを育てながら仕事にも全力を注ぎ、やりたいことにも挑戦する。「地域を、沖縄の女性を、もっと盛り上げたい」と語る姿がとても印象的でした。

同社は沖縄の発展に向けて新規事業にも積極的に取り組んでいます。そんな環境に身を置きながら、仕事と子育てに取り組む新屋さん。「いつも助けてくれる家族や周囲の皆さんのおかげです」と感謝を忘れず、笑顔で語る姿に、私自身も刺激を受けました。

新屋さんの新たな挑戦が同社の成長につながること、そして、沖縄で働く女性のロールモデルとなり、より多くの女性が活躍できる社会が築かれていくことを心から応援しています。

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